慶州 江東面の良洞(ヤンドン)民俗村は新羅文化とは異る 朝鮮王朝時代の儒教文化が保存されているのが有名で、ここに入ると心和む昔の故郷を感じさせられる。
良洞民俗村は 15~16c頃に形成された典型的なヤンバン(両班)の集落で、150戸360棟余りの古色蒼然たる瓦葺と藁葺の古屋が寄り添っている。
良洞マウルは繁栄していた時代の村の様子がそのまま残されており、風水地理学的に良い位置(「穴」の形状の位置)に配置された主要な建物は、
全て宝物(無忝堂など3件)と重要民俗資料(守拙堂など11件)に指定されている。
現在この村は重要民俗村に指定された後、厳格な考証によって保守・管理されており、本来の姿を保っている。
この村は、朝鮮時代初期に住み着いて以来、現在まで代々暮らして来た月城(ウォルソン)孫氏と驪江(ヨガン)李氏の2つの家門が伝統を継承している。
良洞村には月城孫氏の宗家である書百堂(ソベクダン)と驪江李氏の宗家である無忝堂(ムチョムダン)をはじめ、
觀稼亭(クァンガジョン)、香壇(ヒャンダン)などの朝鮮時代の両班住宅や、
使用人らが暮らした草葺きの家、そして二香亭(イヒャンジョン)、心水亭(シムスジョン)などの東屋や、書堂である講學堂(カンハクダン)など
朝鮮時代を代表する建物が、朝鮮時代から受け継がれてきた民俗と共に良く保存されている。
<代表的な家屋>
香檀 丘の上にあるうえ、屋根の構造が華麗なため村で一番目を引く香檀は李彦迪が慶尚監司(朝鮮時代の官職のひとつ)であった時、
母の看病をするようにと王であった中宗が建て与えたものです。もともとは99の部屋に仕切られていたと伝えられていますが、
一部消失し現在は50あまりの部屋が保存されています。ここから月城良洞村全体を眺めることができます。宝物第412号。
無忝堂 驪江李氏の本家である無忝堂は質素ながらも洗練された建築日が目を引く家屋です。別堂(離れ)として応接、読書、休息などに
利用されました。ハングルのカの字型の構造をしており、オンドル部屋、大広間、板の間などがあり、丸い柱と四角い柱がともに
使われていることが特徴です。宝物第411号に指定されています。
観稼亭 観稼亭は文臣であった孫仲暾(1506-1529)が暮らした家で、格式をもたせながらも質素に建てられており、敷地の中央には
庭があります。男性の主人の生活の場であり、また客をもてなしたサランチェという建物と、女主人の生活の場であったアンチェと
いう建物などが“ロ”の字型に配置されています。
観稼亭という名には穀物が成長するように子孫が繁栄する様子を見たいという意味が込められています。
宝物第442号に指定されています。
講学堂 1870年に建てられた書堂です。書堂とは現在の学校にあたります。全体として素朴な印象の講学堂はハングルのカの字型の建物で、
大広間、アンバン(主婦部屋)、コンノンバン(主婦部屋と向き合った部屋)などがありますが、門や塀は見られません。
大広間の上には“講学堂”と書かれた額がかかっています。ここからは丘の上にある香檀がよく見えます。
河回と良洞の二つの村は以下のような理由から韓国の氏族村を代表している。
第一に、河回・良洞の二つの村は韓国の氏族村の中で最も古い歴史を持っており、それぞれ朝鮮時代前期の氏族村形成期の二つの典型、つまり開拓入郷と妻家入郷類型の代表的な事例である。
第二に、河回・良洞の二つの村は伝統的な風水説の原則をよく守っており、それぞれの韓国氏族村の立地の二つの典型である川辺立地と山麓立地の代表的で優秀な事例である。
第三に、河回・良洞の二つの村は生産領域・生活領域・意識領域で構成される韓国氏族村の伝統的な空間構成を機能的かつ景観的に完全に保存している非常に珍しい事例である。
第四に、河回・良洞の二つの村は朝鮮時代における最も早い時期の優れた住居・精舎・亭子・書院などの建築物を多数保有している唯一の事例である。
第五に、河回・良洞の二つの村は朝鮮時代儒学者たちの学術的・文化的成果物である古文献と芸術作品を保管し、伝統的な家庭儀礼と特徴的な村の行事を今日まで受け継いでいる最も優れた事例である。
ー文化財庁 提供ー
住所:慶北 慶州市 江東面 良洞里
問合せ:054-762-2633
利用時間:4月~9月 09:00~19:00、10月~3月 09:00~18:00
入場料:大人 4,000ウォン、青少年:2,000ウォン、子 供:1,500ウォン
行き方:新慶州駅(KTX)で203番バス→良洞村下車し(90分間隔、90分所要)
ホームページ:http://www.yangdongvillage.com